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スケート場・人工スキー場・国際観光ホテル建設など、将来の中心的役割を果たす観光事業として打ち出された第一弾として、溶岩地帯の荒涼な場所に富士五湖国際スケートセンターはオープンしました。
その玄関口として、同スケートセンターオープンに先立つ2日前の12月1日に「ハイランド駅(現富士急ハイランド駅)」がオープンしました。カタカナだけの駅名は当時全国でも例がないユニークな命名でした。
この開業によって、「運輸と観光の複合企業体」づくりへの第一歩となりました。
岳麓最大の国際観光ホテル「ホテルマウント富士」は昭和38年7月に竣工しました。富士山を眺望するためにもっともふさわしいホテルにするため、当時のホテルの常識を打ち破り標高1,100mの大出山山頂に立てられました。この時から、ホテルマウント富士は当社観光事業の二大支柱として富士急ハイランドとともに大きな役割を担ってきました。
河口湖を起点に五合目まで完全舗装された約30キロの富士スバルラインが1964年に開通したと同時に、河口湖駅前より一日二往復の定期バス路線を乗り入れました。
また定期遊覧コースも五合目まで路線延長した他、デラックスバスを利用した「富士号」を新たに運行し、登山客の便を図りました。
中央自動車道開通と同時、3月27日に「夢の大殿堂」ハイランドホール、新設のアトラクションを多種そろえグランドオープンを迎えました。富士五湖スケートセンター開業時は7万人からスタートした入園客が、中央道開通のこの年には180万人を突破し、まさに「足を持った総合観光会社」の記念すべき年となりました。